自分の本質に近づけた?

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マスターCVを書くには、いや、マスターCV以前に、近い将来どんな自分になりたいか、どこに住んでどんな生活をしてどんな本を読んでどんな仕事をしているのか、言い換えるならあるべき自分の姿が見えない。たとえ、年齢その他の制約を一切考えずに自由に発想しようとしても、何も見えてこない。自分のことなのに、自分がどうしたいか具体化できないのです。

それはなぜなんだろうと考えていました。私がなりたい状態は、ミッションステートメントで書いている「安心して暮らす」こと。あらゆる心配、地震のような天災、犯罪の被害者になったりかかわったりすること、経済的にも安定していて、周囲に頼れる家族や友人がいる、自分の健康や気力も充実している、そんな状態。でも、具体的に何をしていたいというのがない。

そこでF太さんの下記ツイートを参考に、自分が憧れたり、うらやましいと思える人の共通の要素を考えてみました。

・時に問題があっても、全般的には順調(に見える)
・確実にステップアップしている
・影響力のある人たちと知り合いで、認められ、評価されている
・他の人にない才能や技術などがあり、周囲から一目置かれている
・自分の仕事を楽しんでやっている

ここまで考えて、私は多くの人とつながっていたり、評価をされている人を特にうらやましいと感じていることが分かりました。これは、自分には人に認められたいという気持ち=承認要求が非常に強いのではないかと推論しました。

それはなぜなんだろうとさらに考えていくと、自分が小学校から中学校にかけていじめにあっていたことに思い当たりました。それはクラスのほぼ全員から否定され、菌扱いされる年月でした。学校にいないときでも24時間、例えば学校から離れていて、お笑い番組を見るなどして大笑いしているようなときでもふと「ああ、自分はいじめられている」「皆に嫌われている」と思い出すと胸が締め付けられるような苦しい思いがよみがえってきたものでした。高校に進学して付き合う人たちが変わるとなくなりましたが、どこかで影響を受け、ひきずっているのかもしれません。他人から批判されたり、罵倒されるのもとても苦手です。何事でも失敗は絶対したくない、間違いのない選択をしたいという気持ちがあります。こうやって文字にしてみると自分の思いはとても非現実的なのですが。

そのような思考の延長として、自分の夢ややりたいことより、他人がそれを「いいね」と言ってくれたり、保証/承認してくれるものを求めている、いや、それこそが自分の望むことなのだとすり替えているのではないかという気がしてきました。自分は前面に立ちたくない、裏方サポートが好きなのだと思ってきましたが、かといって、裏方のまま自分が報われないと気に入らなかったりするので、これも承認要求のせいですね。また「嫌われる勇気」を読み直すことにします。ン十年やってきた思考パターンをすぐに変えるのは難しいですが、少し自分の本質に近づけたような気がしました。

<週末の視聴ビデオ>
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Sunsetgirl/unsplash.it
画像はUnsplash.itより

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